2014年8月9日土曜日

失われた「弘前方式」を求めて

「修故創新塾その一~鳴海修に学ぶ~」を開催することができました。
スピーカーお二方に対して、聴く側も二人という少人数でしたが、もともと私が前田みき先生から鳴海修先生のお話を聴くというクローズドなところが出発点でしたし、みき先生のご厚意によって子ども会連合会で初めて子ども側からの会長を務めた古川謙二さんのお話まで聴くことになったのですから、私にとっては満足感二倍のひとときでした。
その中で出てきたのが、弘前市独自の子ども会リーダー養成システムのことで、当時これが「弘前方式」と呼ばれて全国から視察が相次いだものだそうです。
これは、中学校区から子ども会リーダーを出してもらい、高校卒業までの5年がかりで初級から上級までの講習会を開催するだけでなく、上級の中からさらに千月リーダー研修や3泊4日での県外視察まで行っていたのだそうで、市議時代に青少年問題協議会に宛職で参加した際に確か委員の一人であったみき先生がこの「弘前方式」を持ち出して現在の育成レベルを危惧されていても、相馬出身の私には何のことやらサッパリわからずに聴くだけだった謎がようやく解けた思いでした。
全国どこでもできないといわれたという、この方式を支えるために、各中学校の先生から1名が少年教育指導員に任命されて子ども会活動に参画し、子ども会連合会を支える組織として町会連合会・市連P・市社協・市民児協・小中学校校長会・市地婦連などの団体からなる参与会があるという、今では考えられないほどの手厚い体制が構築されていたそうです。
そして、1962年からはじまった子ども会連合会主催の「子どもの祭典」は、第3回から鳴海修先生が子どもたちのためにと建設に尽力した市民会館を全館貸し切りで11/3に開催されるようになり、「子どもの祭典の歌」ばかりでなく子どもが作詞した「津軽っこの歌」まで加えられるほどの盛会な行事だったのだそうです。
古川さんによれば、これが1980年代の校内暴力の時代の波に飲まれて活動が縮小し、徐々に活動そのものも形式化してきたことで今では見る影もなくなっているのだそうですが、ちょうどその時代に高校生になった私には中学校時代の恩師がそのまま教育委員会に配属になったとたんリーダー研修に引きずりこまれた思い出がありますので、その名残をいささかでも知る世代ということができるのでしょう。
「弘前方式」実現には、昭和の大合併を終えて次代を担う大人を子どものうちから育てなければならないという修先生の思いと、それを町会連合会・社会教育協議会・市連Pなど諸団体の陣頭に立っての行動力そして「陰の市長」と呼ばれた政治力があってこそのものだと言えます。

この失われた「弘前方式」ですが、今の時代に復活させようと単なるシュプレヒコールをあげても、意味のないことでしょう。
ただし、「弘前方式」の掲げた子どものうちから地域でリーダーを育てるという理念は今でも、いや今こそ必要なことだと思いますし、それを子ども会育成協議会がやるというのではなく次世代育成に思いを同じくするNPOやJCといった組織団体や有志が手を取り合って取り組むというのでいいのではないかと思います。
とりわけ、現在では中学生になれば子ども会とは離れた関係になってしまい、そこから高校までつながる形でのリーダー研修など考えられない現実がありますが、小中連携が叫ばれている時期だからこそ今は小学校どまりとなっている子ども会やスポーツ少年団に中学生がリーダーとしてかかわる方向性をさぐるところからはじめるべきだと思います。
青少年問題協議会でみき先生が指摘したように友好都市・太田市との交流事業ではリーダー養成になるとは思えませんし、葛西市長になってからはじまった子ども議会も一日限りのセレモニーですので、もっと地域に根づいた継続的な次世代育成を考えていかなくてはなりません。

こうやって、故きを修めて新しきを創造するのが、修故創新の意義ですので、これからもテーマを見つけてふさわしい方にお話をうかがっていこうと思います。