2015年1月19日月曜日

昭和90年にすべきこと

今日は、町会の老人クラブ「月曜会」の新年互礼会ということで、町会長としてお招きいただきました。
いつもは会長さんや町会の役員を務めてこられた方々のそばの席なのですが、今日はあまり話してこなかった方たちと同じテーブルになり、これまでは聞いたことのなかった話をいろいろと教えていただきましたが、さすがに昭和一ケタ前後だけあって共通の話題が空襲のことになりました。
一人は隣の藤崎町で生まれ育ったのだそうですが、ずいぶん離れているように思える青森市への大空襲の際には北野空が真っ赤になっていたのを覚えていることを話し、もう一人は生まれ故郷が三重県伊勢市なのですが、弘前市と同じく空襲を免れたのかと思ったら、天皇家の祖先を祀る伊勢神宮のある町だけに何度も空襲を受けたのだそうです。
そういう話題が続いていた際に、別のテーブルから「今年は昭和でいえば何年だっけ?」という問いに「90年だよ」と答えるのが聞こえて、昭和という年号で数えると今年が戦後70年であるのを強く意識できるのに対して、1945年に戦争が終わって20世紀から21世紀に進んでいるのも、1988年に昭和が終わって平成になったのも、どこかで戦後に区切りをつけて次の戦前に進んでいるような時代の空気をつくっている気がしました。

国で動いている集団的自衛権や特定秘密保護法にどう向き合うかは国民として大事なことですが、空襲も受けず食糧にも困らずに済んだ戦時下の弘前市であっても、いやそうだったからこそ、出征させられて命を落とした家族を持つ家庭、他地で空襲や被爆した体験を持つ方、満蒙の地に未来をかけた一家、さまざまな経験が市民の中にもつながっているはずですから、この節目の年に戦争体験を掘り起こして、平和と不戦を誓うのが市としてできることすべきことだと思います。
日本そのものが戦場となることはないかも知れませんが、次の世代に死没した日本人より十数倍も多い犠牲者を出してアジアを傷つけた罪を次代に伝え、今も世界で続いている戦争やテロがどんなに悲惨なものなのかを直接体験してきた人たちの声として受け継ぐことが、最高の平和教育となるはずですし、次の昭和100年=2025年ともなれば伝えられる人間が少なくなってしまうだけに、今年こそ今こそやるべきことだと思うのです。

このことは、市が動かなくても私個人として取り組まなくてはならないことだと思っています。

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