2015年3月19日木曜日

合併と人口減少問題

昨夜は、昴町会をカバーしてくれている消防団第5方面団相馬地区団第4分団の総会に町会長として招待いただいたので、分団長以外は全員年下の団員たちと歓談してきました。
その総会の事業報告で、東目屋地区団との協議というのがあったので懇親会の席で教えてもらったのですが、現在は第5方面団といっても相馬村消防団がそのまま移行した形だったのを、4月から東目屋地区団を第3方面団から分離して第5方面団に加えることになったのだそうです。
先日の東目屋地区の酒蔵・白神酒造の火事の際にも相馬地区団も出動したように地理的にも近く、たった4分団で方面団を組織しているのもどうかと岩木地区の第4方面団との統合という案も出ていたそうですので、東目屋4分団とあわせて2地区団8分団体制で存続できるというのは、また合併で失うものが出るよりよっぽど助かる話だと受けとめました。

相馬から見ればありがたい話ですが、一方の東目屋からすれば相馬の下になるのかという半ば悔しい思いをしているのではないでしょうか。
昭和の大合併の際に、中津軽郡16村のうち岩木村・大浦村・駒越村(この3村が合併して岩木町)・相馬村・西目屋村の5村は弘前市との合併に加わらなかったのですが、この5村の真ん中に位置していた東目屋村は合併して長らく弘前市には飛び地が存在していたのです。
合併後は出張所・交流センターが置かれたものの、それ以外に目立った取り組みがあったとは聞こえませんし、消防団の件ばかりでなく西目屋中と東目屋中の統合の件でも地区の意志より市の意向で動かされてしまう形ですので、当時の合併で得たものは「弘前市民である」というプライドだけだったように思います。
相馬村より少し小さい規模の東目屋地区ですが、もし仮に昭和の大合併に加わらずにいれば、流れからして東目屋総合支所が置かれて個別の地域計画が策定されたはずですし、人口動態からすれば過疎計画や特別豪雪地帯の適用も受けることができたはずですから、60年前の決断は正しかったのか無念に思う人もあることでしょうし、今回の合併では岩木・相馬との格差ばかりかとばっちりまで受けているとすら感じているのではないでしょうか。
定例会でも常盤野・十腰内・十面沢の3へき地保育所が閉園と決まったように、国としての人口減少や一極集中ばかりでなく、市でも周辺地域と中心部で同じ状況がすでにはじまっていて、その中で地域を維持していくためにどの施設を残しどのような施策を展開していくかは、合併時の旧村単位で考えているわけにはいかないことだけに、今回の東目屋の件は自分ゴトとしてとらえておくべき問題です。

それだけに、相馬にいつまでも総合支所があるという保証はありませんし、市全体のバランスを考えるべき市議という立場から冷徹な判断を受け入れなければならないこともあるでしょう。
いつかは東目屋と同じ位置づけになると覚悟を決めて、その前にできるだけ行政頼みではなく地域力で自立していく努力をするのが、相馬の住民としてのあり方だと思っています。

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