2015年4月27日月曜日

完敗して雌伏

2度目の落選が決まってから一日、朝からおわびのあいさつ行脚でしたが、夕方には町会長としての回覧物配布をして、普通の生活に戻りながら、今回の選挙のことを考えていました。

最初の市議選が1,668票、前回は1,092票、そして今回は905票と、投票率が下がる以上に自分の得票は減り続けていまして、前回は施設や実家との騒動があったとはいえ事情を知らない人は投票してくれたのでしょうが、今回は施設の経営者でもなく落選しても親とも仲直りもしないような者に投票する所以はないと見透かした人が多かったのが、何といっても響いたと思います。
それは見こんだ上で、この4年間の活動で新たに得たご縁やネットでの情報発信に共鳴する人たちに期待し、選挙期間中は自転車での遊説が届くことを願っていたのですが、自分なりの得票予測どころか当選ラインと読んでいたところにも遠く及ばなかったのが現実でした。
これは、地盤を失ったのに、それを補うだけのものを築けなかった私の責任ですが、それを一人でやりきろうとしたところに難しさがあり、他候補が地盤となる地域や団体・政党を持ち、自分の仕事をさておいても動いてくれる参謀がいるのを凌ぐことができなかったということです。

これまで綴ってきたように、市政にある数々の問題点が見えていて、それをただしていく目標があるのであれば、何はともあれ当選に近づく方法なら何でもありというのが政治家らしいやり方なのでしょうが、自分の活動を知ってもらい何に取り組もうとしているのか理解してもらえるようなアプローチをした上で支援してほしいと思っている私には、ただ票を集めればいいというやり方を採るわけにはいきませんでした。
ちょうど昨日の大河ドラマ「花燃ゆ」では、我が師と仰ぐ吉田松陰の最後が描かれていましたが、松陰も自分の信念を貫いて老中を諫めようとしたと言わなくてもいいことを言ったことで遠島が死罪になったとされていて、みすみす命を落とすことになる発言をしなければよいものをと思った方も多いことでしょう。
しかし、命よりも信念を重んじる松陰からすれば曲げるわけにはいかないからこその発言であり、この日にこの場面が流れたのは、おまえも信念を貫いて死ねと伝えてくれたように、今にして思っています。

そもそも前回当選していれば、この選挙には出ないつもりでしたので、50歳にして引退するつもりだったのが、2回の落選という形で突きつけられたのだと思うこともできますし、選挙のやり方もできない者が政治にかかわることが間違っているのだと烙印を押された気もします。
何といっても、この4年間も震災支援や町会などの仕事はしても生活していくだけの報酬を得ていたわけでなく、さらに続けるのは家族に対して無責任が過ぎます。一旦は政治にかかわる活動に明け暮れるより、仕事に就いて生活を立て直し、妻や子どもたちを安心させるのが先決だと思います。

もう一つ、昴の皆さんには役割をいただいたことを感謝したのに、選挙に出るのは自分の思いを優先させたものでしたので、「出たい人より出したい人」という原則から外れた行動だったのも、反省しなければなりません。
今回の結果は市民から議会には必要のない人間と評価されたわけですから、生活を立て直したところで是非とも出馬してほしいという働きかけがない限り、再び自ら立つことはすべきでないと思っています。
それでも、おわびに回った先で「次こそ、がんばって」と声をかけていただいたのに一筋の光明を覚えましたし、今回の顔ぶれで市政や議会が変わるとは思えないだけに、これで政治の舞台から去ると断言することはしないでおきますし、したくはありません。
この4年間は、出なくてもいいところまで顔を出してましたが、このたびはひとまず完全に雌伏して、来るのかどうか見えないその日を待ちたいと思います。

本当に徒然なるままに乱れた思いを綴りましたが、私の活動に関心を持ち支援してくださった皆さんに、心からの感謝をお伝えして、このBlogを閉じたいと思います。